プロ柔術大会DUELOファウンダー浅井悠平さんインタビュー「決闘という名の挑戦」

インタビュー

名古屋を拠点に、プロ柔術大会「DUELO(デュエロ)」を立ち上げた浅井悠平さん。

柔術歴25年、本業は動物病院の院長という異色のキャリアを持ちながら、今なお練習を続けながら、柔術の普及や後進の育成にも力を注いでいる。

殺伐としたジムで修行を積んだ学生時代、本場ブラジルでの濃密な経験、プロマッチへの出場、そして地方から柔術を盛り上げる新たな挑戦——。

今回は、浅井さんにこれまでの歩みと、プロ柔術大会「DUELO」に込めた想いを伺った。

まず、浅井さんのスポーツ歴・格闘技歴を教えてください。

運動神経が良い方ではありませんでしたが、高校時代にはスポーツ空手を大学時代からは25年ほどブラジリアン柔術を続けています。

どちらかというと身体的に強いタイプでもなく、球技などは全くの音痴です。

そのような私でも続けられるブラジリアン柔術は素晴らしいですね。

積み重ねてきた25年の証。

ブラジリアン柔術を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

私がブラジリアン柔術に出会った25年前の当時はグレイシー柔術、コンバットレスリング、修斗など組技格闘技や総合格闘技(MMA)が流行り出した時期でした。

もともと格闘技に興味があったことと、大学で体育の講師をされていた故木口宜昭先生のご紹介もあり修斗のカリスマ佐藤ルミナさん、JBJJFで理事をされている植松直哉さん、ROMANのCEO渡辺直由さん、格闘技プロ大会マッチメーカーの勝村周一朗さんはじめ多くの有名格闘家を輩出したK’z FACTORYに入門しブラジリアン柔術を始めました。

名前の通り工場にマットを敷いたジムで、冷房なしの厳しい練習環境でしたが、強くなれそうな雰囲気が漂っていました。

当時プロの最先端で戦っていた先輩方がしのぎを削っており、ジム内は殺伐とした空気感でピリピリしていたため毎度ジムの扉を開けるのが恐ろしかったことを記憶しております。

また大学時代は夏休みや冬休みで名古屋に帰省する度に鈴木陽一さん主宰のALIVEさんにお世話になり杉江アマゾンさんや日沖発さんと練習させて頂いておりました。

20数年経った現在もK’zの先輩方とグループLINEでのやり取りがあって、元ONEファイターの朴光哲さん、元修斗チャンピオンの大石真丈さん、ROMANにセネガルから選手を招聘されるなどグローバルに活動されている孫煌進さん、格闘技道場CROW FOREST代表の前田健太郎さんなど住んでいる地域は違いますがOB会の繋がりがあります。

若い頃はムンジアルに出場されたことがあるとのことですが、その時の思い出をお聞かせ下さい。

都内の強豪選手と練習させて頂くために、中井祐樹先生の昼柔術や早川光由先生主催のJFTの練習に定期的に参加しておりました。そちらで出会った先輩や仲間の多くがブラジル修行やムンジアルに出場されており、私もブラジルへの憧れが強くなったと記憶しています。

今のムンジアルはアメリカで開催されておりとても洗練されたイメージの大会ですがブラジル開催だった20数年前のムンジアルの大会会場は非常に賑やかで応援もまさにカーニバルのよう、良い意味で混沌としておりました。

ブラジルではコパドムンドとムンジアルの二つの大会に出場しまして、ムンジアルは二回戦で負けてしまいましたが同行していた佐々幸範さんが茶帯で優勝し、応援していた日本人全員が盛り上がったのを記憶しています。

ブラジル滞在時に世界チャンピオンのアンドレ・ガヴァオン選手とも練習させて頂いたサンパウロのTT柔術はK’z FACTORYに負けず劣らずの強烈な道場で、若い選手が道場内に布団を敷いて寝泊りし、練習で使った道着は洗わずに隅に干しているなど、強くなる雰囲気が満点の道場でした。

そのような日本の日常では感じ難いブラジリアンテイストこそが日本の柔道が海を渡りブラジリアン柔術という競技に変遷そして洗練された根源なのだろうと思っております。

またリオのデラヒーバ先生の道場で練習できたことと、橋本欽也さんにバッハ地区にあるブラジリアン柔術の源流でもあるグレイシー道場に連れて行って頂いたのも良い思い出です。

ブラリジリアンの柔軟な技やムーブは陽気なラテンの気質が産み出した結晶でしょうから今の若い日本人選手にも是非ブラジルの本場の柔術を肌で感じて欲しいと思っております。

ブラジル・サンパウロでのムンジアル挑戦時。現地での武者修行が浅井さんの柔術感を大きく変えた。
ホイス・グレイシーのサイン。

プロ柔術大会「KIT」へ出場された際のエピソードもお聞かせください。

KITのオファーはブラジルに渡航した際にとてもお世話になった橋本欽也さんから頂きました。

KIT8出場予定だったバレットヨシダ選手がご家庭の事情で出場が出来なくなったとのことで代打として塚田市太郎さんと試合をさせて頂きました。

昔から今でもずっと最前線で活躍されている塚田さんと試合できる機会はなかなかありませんのでチャレンジしてみようと思いました。

対戦相手が決まっているKITのようなプロマッチはトーナメントの大会とは違い、試合当日までに一戦集中できる点が面白いと思います。

ポイント勝負も良いですがわかりやすい試合の方がすっきりしやすいためKITルールの試合も良いですよね。

浅井悠平さんプロフィール

氏名浅井 悠平
ニックネーム獣医
年齢43歳
所属stArt Japan
柔術暦25年
黒帯
得意技アサイー返し、三角締め
実績2013年全日本選手権 アダルト黒帯ライトフェザー級3位
2023年全日本マスター マスター3ライトフェザー級3位
座右の銘剛毅果断
好きな食べ物和食
好きな映画冷静と情熱のあいだ
好きな漫画鬼滅の刃
趣味釣り
最近ハマっていること柔術の技研究

ご職業は動物病院の院長と伺っていますが、柔術の練習そしてプロ柔術の開催との両立はどのようにされているのでしょうか?

はい、こちらは私だけでなく皆さまにとっても、大事なことではないでしょうか。

毎日食べる寝る以外の時間を柔術に注げる競技者なんてほぼいないでしょうから。

私は若い頃から空いた時間を上手く使うことは得意であったかもしれません。

大学時代でしたら昼の休憩時間に30分スパーリングすることもありましたし、社会人になっても可能であるならば昼の休憩時間に練習することもあります。

ただ時間があっても相手がいないと良い練習ができませんので時間の確保はもちろんですが、一緒に練習するパートナーを大切にするということも大事にしております。

相手への配慮を欠き自分のためだけの練習は長らく成立しませんので、常に相手への配慮は持つようにしております。

相手が白帯ならば白帯のペースで、相手が若手のバリバリの選手であれば全力でスパーリングしても良いでしょう。

相手へのリスペクトや思いやりがあれば自然と練習相手が増え、空いた時間に練習が出来るようになると思います。

幸い今もお世話になっている日沖発先生、梅村寛先生はじめ様々な方にお声をかけて頂いて良い練習ができております。

私の生業は動物の命を預かる職業のため休みが取りづらく、28歳で自身の動物病院を開業してからは大会の参加が難しくなってしまったこともあります。

ただこれからも空いている時間を上手くやり繰りし、練習時間やDUELOに向き合う時間、さらには自身が大きな大会にエントリーできるように時間を作りたいと思っております。

本業は動物病院の院長。命と向き合う現場での経験も柔術家としての在り方に繋がっている。

「プロ柔術を開催しよう」と思われたきっかけは何だったのでしょう?

昔は頻繁に開催されていたグラウンドインパクト、MATSURIなどの素晴らしいプロ柔術大会がありました。そのようなプロ柔術を現代版にアレンジし、選手が輝ける華やかな舞台を永続的に作りたいと思いました。

前から加古拓渡選手と地元の中部地方から全国、世界に挑戦する選手って貴重だよねという話をしておりまして、そのような思いから地方で頑張る選手を盛り上げて応援したいという気持ちもあり、名古屋でプロ柔術の大会を開催するに至りました。

ブラジリアン柔術は強い選手と練習することが上達の近道でしょうし、海外ではアメリカやブラジル、国内であれば東京と良い環境に身を置きたくなる若者の気持ちは十分わかりますが、地方でも創意工夫で頑張っている若手選手もいるということをアピール出来れば喜ばしい限りです。

中部地方は名古屋を中心としたコンパクトな都市圏のため良くも悪くも外に出ずに様々なことを中部地方で完結することが出来ると思いますが、世界は広いためブラジリアン柔術に関しても全国そして海外へと中部地方から羽ばたいて欲しいと願っております。

40歳を過ぎて自分自身の肉体的なピークは過ぎておりますが、ハートと思考はまだまだ頑張れると思っており、お世話になったブラジリアン柔術、そして中部地方に自分なりに恩返ししたいという気持ちでプロ柔術の開催に至りました。

同カテゴリーのトップクラスの実力をもつ高橋先生と五味選手の対戦が決定!今後も続々と対戦カードを発表予定!

大会名を「DUELO(デュエロ)」にされた理由を教えてください。

DUELOとはブラジリアン柔術の母国語のポルトガル語で決闘を意味します。

侍同士の果し合いのようなイメージで対戦相手はもちろん自身を見つめ試合当日まで心身を研ぎ澄まし闘って頂きたく、DUELOの名前をネーミングしました。

小さな大会であっても永続的に開催することが目標で、これは私や運営事務局の決闘だと思っています。

マッチメイクはどのように決めていくのでしょうか?

中部地方の選手の柔術への意欲を高めるという主旨から基本的には中部地方の選手を中心に出場して頂き、別の地方の選手とマッチメイクするイメージです。

ただ、私だけでマッチメイクすると偏りが生じますので、ブラジリアン柔術を俯瞰的に把握されている橋本欽也さんにアドバイザーとして協力して頂いております。

わかりやすいイメージとしては大会に出て確実な結果が出ているようならば所属ジムの先生経由で橋本欽也さんに連絡を入れて頂き選考する、もしくは私が知っている選手で実力や柔術に対する熱意が十分だと思われれば橋本欽也さんに私から推薦するという形をとっております。

若手現役世代の選手は大きな大会で良い成績を出して頂くか、道場の先生からの推薦を頂ければ良いと思いますし、マスター世代の選手はご自身のペースを崩さずに永く続けて帯の色が上がっていけばいつか声がかかるというように思って頂くと良いかもしれません。

若い現役の選手だけでなく柔術歴が20年近いマスター世代の選手も是非順番に出て頂きたいと考えております。

今後、プロ柔術「DUELO」をどのように発展させたいですか?

第一の目標は永続的に開催するということです。

いつか20年30年経って名前は変わったとしてもこのDUELOを誰かが引き継いで欲しいと考えております。

次に誰かに引き継いでもらうならば大会の仕組み作りやマネジメントが重要になりますが、幸いなことに運営事務局の(株)一人計画さんのバックアップや初開催の大会であるにもかかわらず地元中部地方の企業様のご協賛のおかげで安定的に大会が成立する見通しです。

中部地方は日本のシリコンバレーとでも言うような経済圏ですし、頑張っているたくさんの企業があります。

大会が盛り上がれば中部地方の企業経営者の力強さもアピールできるでしょう。

協賛企業の代表者様の中には柔術や格闘技を経験した精神力で経営難で引継いだ会社を黒字に戻しさらには成長させた方もいらっしゃいます。

DUELOの将来についてですが、ブラジリアン柔術という競技の特性から多くのファンを獲得するというよりは、選手の練習仲間、家族、友人や柔術が大好きなファンを大事に堅実に続けられる大会にしたいと思っております。

営利を求めている訳ではないため大会の利益が得られれば中部地方から全国、世界で戦う選手をバックアップすることや、ブラジリアン柔術に還元したいです。

また次は関西でもプロ柔術開催の話も聞いておりますので橋本欽也さんが繋げてくれたご縁で関東、関西さらには他の地方の方々とも手を携えてプロ柔術を発展させていつかチャンピオンベルトを作りたいなんてことも考えております。

浅井さんにとって柔術とは何ですか?

頑張って上を目指していた20代の若い時期の柔術への思いは特別なものでしたし、30代で仕事や家族を持つようになってからは趣味のような時期もありましたが、現在は食事で例えるならば和食やお味噌汁のようなものでしょうか。

毎食(毎日)ではないものの日本人ならば食べないとなんだかしっくりこないといったイメージで、無いと物足りないようなモノ(ブラジリアン柔術)です。

ただ今後一生続けていくであろう柔術への愛は昔も今も変わらずに強いです。

最後に、全国の柔術愛好家の皆さんへメッセージをお願いします。

「キッズ・ティーン世代の柔術家へ」

幼少期から柔術に触れ合えているなんて羨ましいです。いつか日本チャンピオンや世界チャンピオンを目指すことも出来ます。チャンピオンを目指さなくても永く続けることで人との繋がりや出会いが増えて人生が豊かになるでしょう。今のキッズ選手がいつか世界の舞台で活躍し、日本の競技レベルが上がることを願っております。

「アダルト世代の柔術家へ」

今が一番肉体的に良い時期です。この良い時期を逃さずに頑張れるだけ頑張って頂きたい。世界チャンピオンを目指すも良し、目標は地方大会の優勝や帯の色を上げるでも良いと思います。自身の夢や目標を達成するために人生の旬な時期を後悔なく過ごして欲しいです。そして現役世代が終わっても柔術を続けて欲しいです。

「マスター世代の柔術家へ」

柔術に出会って間もない方は柔術を始めた今が一番若い時ですので伸び代がいくらでもありますので自身の成長を楽しみましょう。永らく続けていらっしゃるベテランの方はいつかDUELOに出て頂きたいです。

「私より年上の先輩柔術家へ」

まだまだ私も道半ばです。ご指導頂ければと思います。

こちらに読んで下さった柔術家の皆さま、またこのような貴重な機会を頂いたJIU JITSU DAYSの河村英知さんに深謝申し上げます。

インタビューを終えて

柔術歴25年のキャリア、プロマッチへの出場経験、そして大会主催という立場から語られる浅井さんの言葉は、どれも実感と優しさにあふれていた。

「地方からでも世界へ挑める」「長く続けることこそが力になる」

そんなメッセージが、静かに、けれど確かに胸に響いてくる。

「DUELO」という“決闘の舞台”は、多くの柔術家にとって夢と成長のきっかけとなる場であると同時に、浅井さんご自身の新たな挑戦でもある。

その姿勢は、多くの柔術家に勇気を与えるはずだ。

地方から柔術を盛り上げようと動き続ける浅井さんを、これからも応援せずにはいられない——。

どんな立場でも、どんな年代でも、柔術はそれぞれのペースで続けられる。

浅井さん、貴重なお話をありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました